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ブロック社が開発した4座爆撃機MB200の 発展改良型として開発された機体。胴体はさほど形状に変化が無かったが、主翼は低翼配置に改められ(逆に水平尾翼 は若干高い位置に移動した)、主脚は引き込み脚となるなど近代的な改設計が施されている。  MB200の量産発注と前後して開発が始められ、1934年末に原型が初飛行した。MB200に比べ性能がアッ プしていたため、フランス政府は当機の量産を発注し36年から量産型の納入が開始された。量産はMB200同様に フランスの航空機メーカー各社で行われている(ブロック社が製造した機体はごく少数である)。  最盛期には12個の爆撃機部隊に配備された当機であったが、1930年代末には時代遅れであるとして順次新鋭機 への転換が行われることになった。しかし第二次大戦の勃発により転換は間に合わず、結局フランスが降伏するまで当 機は第一線で使用されることになってしまい、ドイツ軍との交戦で多大な損害を被ることになってしまった。  なお、ルーマニア空軍に輸出された機体(10機または24機説、45機説あり)もあるが、フランス本国の機体と 同様に侵攻したドイツ軍に接収され、ごく一部がドイツ軍の訓練任務などに再利用されている。

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 フランスのロワール社は1932年に全金属製応力外皮構造でガル翼式の高翼単葉の単座戦闘機ロワール 32原型を完成させた。フランス航空省は同時期に行った単座戦闘機競作に対して搭載エンジンを指定し たため、同機も他社の機体同様にイスパノスイザ社製エンジンを搭載していた。この原型機は翌33年1月 に墜落して喪われたが、この時には既にエンジンをグノーム・ローヌ社製星形エンジンに変更した発展型と なるロワール45原型機が完成していた。  ロワール社ではロワール45原型機のエンジンを強力なものに換装して時速370キロメートルを発揮さ せたため、同社はこの機体の設計をさらに改良し、34年夏にロワール46原型機を完成させた。この機 体に目をつけたフランス航空省は60機の量産型を発注し、これら量産型にはフランス空軍戦闘機として初 の無線機搭載も行われることになった。  1936年にスペインで内乱が勃発すると、フランス政府は秘密裏に少数のロワール46量産型(生産2〜 6号機の5機)を共和国政府軍へ引き渡したが、2機は短期間のうちに事故で喪われ、もう2機が戦闘で喪わ れてしまっている。フランス空軍への量産型納入は36年11月から始まり、翌37年には第6飛行連隊に 所属する4個飛行隊すべてが当機へ機種転換を完了した。  第二次大戦勃発直前の39年3月になって、すでに旧式化したとの理由から全機が飛行学校や射撃学校へ 移管され、第一線任務から順次退くことになったのだが、ドイツ軍が侵攻した時点でまだ1個飛行体が当機を装 備している状況であった。しかし、ドイツ軍の侵攻を抑えるには非力であったのか、目立った戦果は残され ていない。

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 フランス政府が1930年に出した新型単座戦闘機の要求(仕様書C1)に応えて開発された機体。ブレリオ・ スパッド(SPAD=Société Pour L'Aviation et ses Dérivésは第一次大戦時に 有力な戦闘機を輩出したフランスの航空機メーカー。1920年代にブレリオ社へ吸収された)は 試作機S91をベースにした複葉戦闘機を提案した。  1933年初頭に完成した原型機は、楕円形断面のジュラルミン構造(胴体後部はモノコック) 胴体に布張り主翼を持つ機体で、上下主翼はI型の支柱で結ばれていた。上翼のみ後退角 があったが、補助翼(エルロン)は上下翼両方に装備されている。液冷のイスパノスイザV12型 エンジンを搭載していたが、ラジエータは前面設置だったため一見空冷エンジン搭載に見えた。主翼 支柱や主脚は空力的に成形されており、車輪部にも大きなスパッツが装備されている。  飛行テストで指摘された不具合(安定性と操縦性の改善)については改修が行われ改善したが、他 社機との比較試験で、ドボワチーヌ社のD500の 方が速度的に優れていることが判明したため、当機は採用されなかった。  その後1935年にルイ・マソット(Louis Massot。第一次大戦時のエースパイロット)が、仏航 空相デナン将軍に対してS510の展示飛行を行い、複葉機が機動性や上昇力で(当時の)単葉戦闘 機に劣らないことを示したため、同年8月に60機の生産を受注することに成功した。  翌36年に量産型が完成し、第7戦闘機連隊の部隊(GC I/7およびGC II/7)に配備されたが、第二 次大戦が始まる頃には、後方の防衛部隊(地方飛行中隊)および飛行訓練校へ送られており、ほとんど 実戦を経験することは無かった。ちなみに、少数の機体がスペイン内乱に際し、スペイン共和軍に使用 されたとの説があるが、これは確実な記録が残されていない。  なお1937年に密閉型操縦席や引込脚、新設計の水平尾翼などを持つ改良発展型のS710原型が 製作されたが、この機体は同年6月に墜落し、操縦士を務めたルイ・マソットが死亡したため量産され ることなく終わっている。

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