二次大戦 を含むイラストが 199 件見つかりました ( 181 - 199 件目を表示 ) タグで検索

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 イタリア王国空軍、初の全金属製戦闘機。初期型の密閉式風防はパイロットに不評で、すぐに開放式に改められた。スペイン内戦で活躍したが、第二次大戦では他国主力機と比べると速度、火力とも劣った。フィンランド空軍も少数だが使用し活躍した。生産数は685機。(設計:Giuseppe Gabrielli)  フィンランドは冬戦争の直前に35機のG.50を購入したが、ドイツの妨害で納品が遅れ、また可変ピッチの凍結防止装置を追加する必要があったため、この戦いには間に合わなかった。続く継続戦争では第26戦闘機隊で使用され、Bf-109Gを入手するまでの間、バッファローに次ぐ主力戦闘機となった。

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1941年にドイツ航空省は多用途長距離飛行艇の設計をブロームウントフォス社に対して要請、この 要請を受けてリヒアルト・フォークト博士を中心とするスタッフは6発エンジンの超巨人機を計画した。  膨大な資金を使用するプロジェクトであったため、最初に4分の1サイズ(それでも全長10m、全幅 15mあまりと単座重戦闘機なみのサイズがあった)の研究用模型を製作することにしたのだが、この模 型は本物の原型機が飛行する直前まで飛行せず、しかも初飛行時に破損してしまい結局プロジェクトに何 も提供しない無駄遣いに終わってしまった。  Bv238と名付けられたこの巨大飛行艇は艇体のシルエットこそ Bv222バイキングに似て いたがサイズはかなり大きかった。主翼はBv222が肩翼であったのに対し当機は高翼配置なのが相違 点である。  終戦間際の1945年に原型1号機が完成し初飛行を行ったが、終戦の2、3日前に米軍機の攻撃を受 け試験地であったシャアル湖(Schaalsee)上にて破壊されてしまった(初飛行は1944年3月、攻撃に より破壊されたのは44年9月とする説もあり、こちらの方が現在有力視されている)。実戦に参加する ことの無かった機体ではあるが、第二次大戦中に製作された軍用機中最大のものであった。

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 1936年に英国航空省が出した仕様書T23/36により開発された双発練習機。創立間もない エアスピード社(1931年設立)としては軍の受注にからむチャンスだとして、これまで民間向け に実績のあるAS.6エンボイの 基本設計を流用した機体を提出し、1937年に136機もの制式発注を受けることに成功した。  基本構成は操縦練習用の3座(正副操縦士(訓練生)+教官の計3名)であるが、機銃射手、爆撃 照準士、空撮カメラマン、航法士、無線士用などの座席を設置して機上作業練習機としても使用でき るよう設計されていた。  1939年に第二次大戦が勃発すると、必要な航空要員を確保するため英連邦航空訓練計画 (British Commonwealth Air Training Plan (BCATP))が発動され当機の需要も急速に高まったのだ が、エアスピード社だけでは生産が需要に追いつかず、デ・ハビランド社やパーシバル航空機、スタ ンダード自動車などの工場でも生産が行われ、1945年7月の生産終了までに八千機を越える大量 の機体が生産され、英連邦各国のほかフランスやポルトガル、果てはアメリカ陸軍も当機を使用した。  なおイギリス空軍の機体のうち、戦後余剰となった機体の多数がギリシア空軍やオランダ空軍へ譲 渡・売却されているほか、1950年代半ばにイギリス空軍を退役した機体もベルギー空軍へ売却さ れている。また一部の機体は民間輸送機(AS.65と同じ規格)に改修され、民間へ払い下げられ ている。

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 イギリスが世界各地に持つ植民地で使用するための輸送機を求めた航空省仕様書C26/31に 応えて設計された機体。基本的に兵員・貨物輸送が主任務であるが、状況によっては爆撃機として も使用できるよう爆弾の搭載と自衛能力が求められていた(この辺の考え方はドイツのユンカース Ju52/3mと同じ発想で ある)。  ブリストル社は1933年に原型1機の契約を得て35年に同機体の初飛行を成功させたが、飛 行試験により数々の改良点が出たため、最終的に改定仕様書47/36が出されることになり、こ の仕様書に基づいた改良型が英空軍に採用されることとなった。  生産型は1939年9月から就役を始め、第二次大戦では北アフリカ戦線において計画どおり輸 送・爆撃の両面で任務に従事したほか、負傷兵の後送任務にも従事し、ある機体の乗員はのべ六千 名もの負傷兵後送を成功させたとして叙勲されている。またクレタ島を脱出するギリシア王室の輸 送や降伏直前のフランスに対する物資輸送など地味ながら重要な任務にも従事した。  しかし航空機の発達により輸送機と爆撃機の両立は時代遅れとなってきたため1940年代半ば に全機が退役してしまった。

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 1939年に艦上戦闘機を求めて英国海軍が出した要求仕様書N.9/39により開発が始まった機体。 翌年出された要求仕様書N.11/40に基づいて原型機3機が製作された。  原型機および生産前機にはネピア・セイバーエンジンが搭載されたが、セイバーエンジンの供給は タイフーンに割り当てられたため、 主要生産型では星形空冷のブリストル・セントーラスエンジンに変更されている。TF.II以降の機 体は主脚の間隔を広げ、車輪室の間に航空魚雷1本を搭載できるようにされ、空戦と攻撃だけでなく雷 撃をもこなせる世界的にも珍しい艦上機となっている。実際に海軍では当機を『戦闘雷撃機』(torpedo-strike fighter) というカテゴリに類別した。  第二次大戦中に部隊配備された機体は生産前機T.Iと初期型のTF.IIのみで、その 他の機体は第二次大戦終結後に配備となったため活躍の場は残されていなかった。操縦性を改善された TF.4は終戦直前に完成したが、量産型納入は終戦後となり、その後1950年代初頭に ウェストランド・ワイバーンに 後を託して消えていった。

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「第66回湘南ひらつか七夕まつり」 一足早く七夕イラスト。 関東三大七夕祭りの一つ、「湘南ひらつか七夕まつり」は私の地元である神奈川県平塚市で、毎年この七夕の時期に開催されます。 第二次大戦の復興行事として始まった歴史あるお祭りで、今年は66回目を迎えます。 この七夕まつりは、夜間でも楽しめるように電飾をする特徴があります。(夜は本当に綺麗です。) 私ごとですが、物心つく前から行っていたこのお祭りも、年を重ねるごとに行けない年が続きました。そして今年、7年ぶりにこのお祭りに行ってきます。 感動で泣かないようにしなきゃ・・・w(本当に泣きそうだから笑えないwww)

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  宙に浮かぶ、Revi16B型照準器。タネも仕掛けもございません。U-511の、スイートマジック。 なぜU-511と照準器の組み合わせなのか?もちろん、ゆーちゃんがかわいいからである♪ 精密機器と艦娘はよく似合う(ごり押しw) 第二次大戦後半、ドイツ戦闘機の標準的な照準器だったRevi16B。リフレクター(反射ガラス)に浮かんだサークルに敵機をとらえ、十字線の刻みに合わせて 距離を判断するという、大まかなもの。距離判断にしても発砲のタイミングにしても、パイロットのカンと慣れが頼りだったようです。 なので、パイロットによっては、できるだけ敵機に接近してから発砲するという戦法を取っていました。 ドイツ空軍のトップエース、エーリッヒ・ハルトマン少佐(352機撃墜)も、敵機に50メートルまで接近してから発砲したそうです。 うっかりすると敵機に衝突する・爆発に巻き込まれるという危険はあるものの、近い方が 外れ弾が少ない、つまりダメージが大きい。 実戦では、遠くの敵機に弾丸を命中させることよりも、確実に撃墜することのほうが重要でしょう。   お借りしたもの   ゴリマ式_U-511ver1.06(ゴリマ様) Revi16Bver2(リーヴルス大佐様) (リフレクターのサイティング・イメージは、「ドイツ軍兵器&戦闘マニュアル」という本のイラストを参考にして、あとから描き加えたものです。) animesky5(seasalt様)  

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以前北海道沖で行われた潜水艦アルバコア探索の配信を見た頃に描いた「勝手に擬人化ラフ」を引っ張り出してざっくり仕上げてみた絵です。 何故今頃にと言われると特に意味はないんですが、探索配信当時はROVのケーブルがアルバコアの船体(艤装)に巻き付いて身動きが取れなくなるという危機からの脱出のインパクトが大きくて… なのでこの絵自体はどこかのゲームとは全く関係のない自作絵となります。 ※アルバコアは第二次大戦中北海道沖で機雷に接触し没したアメリカ海軍のガトー級潜水艦です。

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自分自身の需要と供給の関係で、第二次大戦中にハンスレット社が設計・製造した オーステリティクラス(Austerity 0-6-0 class)っぽい機関車を作りました。 英国各地の保存鉄道でよく見かける、ザ・英国といった感じの蒲鉾みたいなあいつです。 リベットや弁装置などの細かいディティールが省かれまくってます。運転装置類は いい資料が見つからなかった為、あくまでもそれっぽさ重視で作ってます。実機を忠実に 再現したわけではありません。配管類とかマジでどうなってんのあれ・・・; ボーン操作で運転装置やブレーキシュー、計器類を可動させられます。 モーフ操作で焚口扉の開閉、石炭の量の増減、一部床の嵩上げができます。 カラーバリエーション6種、加えて各色ライニングパターン3種の計18種が入っていますが、 各モデルに楽器P様開発の半自動MMDエンジン(im10739718)を搭載しております。 全ての親ボーンを前後に移動させると、これに連動して動輪が自動で回転します。 因みにタンク側面にMMDのロゴが入った機関車が居ますが、これは完全にネタ枠です。 当然ながらMMDのロゴを付けた機関車は実在しません。折角なので作っただけです。 ミクさんとネルさん、及びレール・炎・トラック・装甲車・貨車・積み荷は付属しません。 配布先→https://ux.getuploader.com/1E1/download/38 このモデルが実際に動いている様子⇒sm42524152 お借りしたもの 初音ミクVer.2・亞北ネル:あにまさ様 フレキシブルレールセット:ejima様 アニメな炎:怪獣対若大将P様 Tatra T18(GG)・平台貨車・ZIS-5V_2cmflac:とりそば様 木箱積みパレット(A,B,C,D)(OD)・チェコの針鼠:T-253様 2023/8/29追記:トーマス関係の派生モデル出来ました→im11260773

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 第二次大戦中の1943年に英国ブラバゾン卿(英国航空大臣兼運輸大臣(当時):John Theodore Cuthbert Moore-Brabazon, 1st Baron Brabazon of Tara)は、 戦争終結後の平時に大型旅客機市場で必要とされる航空機の研究・提言のための委員会を設立した。 委員会では海外航路用の長距離大型機から支線航路用の短距離機までの4タイプ(後に5タイプに 増えた)のレポートを発表、英国内の航空機メーカーはこのレポートに基づいて、民間輸送用の機 体開発を行った(1944年に軍需省が各タイプの航空機仕様書を発行したため、正規の開発契約 であった)。  デ・ハビランド社も幾つかの機体を開発したが、そのうち支線路線用(仕様書26/43)とし て開発されたのがDH104のナンバーを持つ機体で、原型機は終戦直後の45年9月25日(偶 然にもデ・ハビランド社創立25周年記念日であった)に初飛行し『ダブ』(Dove:鳩の意)の愛 称が与えられた。8〜11席の客席を持つ初期生産型は英国内よりも海外の航空会社へ売れたが、 その後に発売された6席のVIP輸送機は国内外の企業経営者に対して好感触を得て、ビジネス機 市場の一角を占めるに至った。また仕様書C13/46に適合する軍用連絡通信機としてのモデル も開発され、英空軍および英海軍に採用が行われた。この軍用型は『デヴォン』(Devon:地名)と 名付けられた。  デ・ハビランド社は『ダブ』の成功を受け、より大型の4発機市場(DH86 の後継機)に対応した改良型を開発することにし、1950年5月に機体を拡大した4発機DH11 4(後に『ヘロン』(Heron:鷺の意)の愛称を与えられた)原型の初飛行に成功した。4発機型も 国内外の航空会社に対してセールスに成功したが、軍用型としても英空軍女王飛行小隊[Queen's Flight]の VIP輸送機や英海軍の連絡輸送機として採用が行われている。

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 フランスのロワール社は1932年に全金属製応力外皮構造でガル翼式の高翼単葉の単座戦闘機ロワール 32原型を完成させた。フランス航空省は同時期に行った単座戦闘機競作に対して搭載エンジンを指定し たため、同機も他社の機体同様にイスパノスイザ社製エンジンを搭載していた。この原型機は翌33年1月 に墜落して喪われたが、この時には既にエンジンをグノーム・ローヌ社製星形エンジンに変更した発展型と なるロワール45原型機が完成していた。  ロワール社ではロワール45原型機のエンジンを強力なものに換装して時速370キロメートルを発揮さ せたため、同社はこの機体の設計をさらに改良し、34年夏にロワール46原型機を完成させた。この機 体に目をつけたフランス航空省は60機の量産型を発注し、これら量産型にはフランス空軍戦闘機として初 の無線機搭載も行われることになった。  1936年にスペインで内乱が勃発すると、フランス政府は秘密裏に少数のロワール46量産型(生産2〜 6号機の5機)を共和国政府軍へ引き渡したが、2機は短期間のうちに事故で喪われ、もう2機が戦闘で喪わ れてしまっている。フランス空軍への量産型納入は36年11月から始まり、翌37年には第6飛行連隊に 所属する4個飛行隊すべてが当機へ機種転換を完了した。  第二次大戦勃発直前の39年3月になって、すでに旧式化したとの理由から全機が飛行学校や射撃学校へ 移管され、第一線任務から順次退くことになったのだが、ドイツ軍が侵攻した時点でまだ1個飛行体が当機を装 備している状況であった。しかし、ドイツ軍の侵攻を抑えるには非力であったのか、目立った戦果は残され ていない。

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 第二次大戦中に米国は対ドイツ戦の前進基地となりえる英国が失われたときのことを想定し、米国本 土から直接ドイツを爆撃できる大陸間爆撃機の要求書を発行した。当時は空中給油の技術が確立してい なかったため「4,500kgの爆弾を搭載して片道5,500kmの距離を無着陸で横断できる」能力が 必要とされたのである。  コンソリデーテッド社(コンベア社の前身)が提案したモデル37は、同社の B-24に似た 2枚の垂直尾翼を持ち、6基の空冷エンジンを推進式に配置した珍しいスタイルをしていた。この提案 が米国陸軍に採用され、設計変更(垂直尾翼は1枚となった)や各部分の洗練を経た後に完成したのが それまでに製作された中で最大の爆撃機となった当機B-36である。第二次大戦の終結には間に合わ なかったが、終戦直後の1945年9月8日に工場から搬出された原型1号機は、それから飛行準備に 1年という長い期間をかけ翌年8月にようやく初飛行を行った。  途方もなく大きな機体を飛ばすため強大なエンジンが必要であったが、設計を変更せずにレシプロエ ンジンのみ強化するのには限度があったため、補助推進機関としてJ47ジェットエンジンを搭載した B-36Dが製作されると、陸軍から独立したばかりの空軍(戦略空軍)の中核をなす機体として重宝 されたのである。  しかし、1950年代になってジェットエンジンが発達してくるとレシプロエンジン搭載の当機では 速力不足や搭載能力への不満などがでてきたため、ジェット戦略爆撃機の選定が行われた。コンベア社 は当機をジェット化したYB-60を提案したが、 ボーイング社のB-52に 破れてしまい、当機も1950年代末には一部の偵察機改装型を除き現役から退いた。

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クラシックカメラシリーズですー 今回登場は「レオタックスTV2(メリット)」 1958年発売の日本製カメラです。 このカメラは「和製バルナックライカ」と言われるものの最後期にあたります。 バルナック型ライカは第二次大戦後のドイツ特許無効化により、各国でコピーが製造されました。 日本ではレオタックス、ニッカ、タナックなどが有名です。(零細メーカーは把握しきれないほど) このモデルはライカM3の登場に刺激されたのか、巻き上げレバーを装着した「進化型バルナック」といえるモデル。 生産数は非常に少なく、1000台から2000台といわれています。 レンズはレオタックス製、レオノン-S 5cm F2を装着。 さて、このかわいいモデルさんは八剣さんデザインの「穂音愛(ほのあ)」さんです。 この静画ではかなり目を細めているのですが、パッチリ開いた時も非常にかわいらしい方ですねー カメラデータ ボディ:レオタックスTV2(メリット) シリアルNo.3119364 レンズ:レオノン-S 5cm F2 シリアルNo.340211 実機撮影 どりーむまっぷ

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 チャンス・ヴォート社が初めて設計したジェット戦闘機。米国海軍向けに当機が提案されたのは 第二次大戦中の1944年であった。このジェット戦闘機は米国海軍にとっても魅力的な機体であった ようで、同年12月29日に原型3機の生産契約が締結されている。  戦争終結に間に合わなかった原型1号機は1946年10月にウェスチングハウスJ34-WE-2 2エンジンを搭載して初飛行を実施した。低翼単葉直線翼の黎明期ジェット戦闘機としてオーソドック スなスタイルをした当機だったが、主翼はヴォート社の特許である2枚の高強度軽合金をバルサ材の心 材に貼り付けたメタライト外板を使用しており機体の軽量化に一役買っていた。また翼端には投下可能 な増加燃料タンクも取り付けることが可能であった。  大戦中の戦闘機設計から脱却できていないため武装は機関砲のみとなっており、葉巻型の胴体前部に 20mm機銃4門を持っているだけでロケット弾や爆弾等の装備は考えられていない。  生産型については当初契約で65機の生産が予定されていたが、戦争終結に伴う兵力削減などで結局 原型機を含めて33機が生産された時点で残りは取り消されてしまっている。  原型機は生産型が就役した後も各種装備の試験に用いられており、アフターバーナー設置のための胴 体延長や補助翼設置など多数の改修を受けていた。

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第二次大戦中のドイツの軍服の変遷。ここには描いてないけどM42とM43、あと礼服を改造したM45なる物もあります。当時は『M~~』とかいう分類は無く、ただ『Feldbluse(野戦服)』とだけ呼んでたらしい。

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ペイントでどこまで描けるか第二次大戦のときのやつはホント難しい

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第二次大戦中の1943年に米国海軍へコンベア社(コンソリデーテッド社とバルティ社が統合再編して 1943年3月に設立したばかり)が提案した長距離多用途飛行艇。  細長い胴体と当時最新鋭のターボプロップエンジンを持ち、全エンジンが共通のギヤボックスを介して二 重反転(コントラ)プロペラを駆動させることで大きな推進力を得て多量の搭載物を積み込んでの高速・長 距離飛行を可能としていた。  大戦後の1946年に原型製作契約が締結された。当初は海洋偵察機として計画されていたが途中で方針 転換が行われ、人員・貨物輸送飛行艇として完成することになった。防音・空調が施された荷室には乗客1 03名もしくは担架92台(+添乗者12名)を乗せるか、または貨物24トンを搭載することが可能であ った。  最終的に人員・貨物輸送機型R3Y-1が5機、強襲輸送機型R3Y-2が6機(うち1機は後に空中給 油機に改装された(上掲写真参照))製作されたが、エンジンやプロペラの故障・事故が相次いだため運用 は制限され、1958年に運用部隊解隊と供に退役した。

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リスボン・ニューヨーク間を乗員4名と貨物500キログラムを搭載して飛行する大西洋横断郵便機とし て開発された当機は、ドルニエ社で製作された飛行艇中最も洗練されたスタイルを持つ機体である。  空気抵抗を減らすため安定フロートは翼内へ引き込まれるようになっており、エンジンナセルの数も 前後にエンジンを搭載することで2つとし空気抵抗の軽減を図っている。このナセルは離水時に後部エ ンジンのプロペラが水をかぶることを防ぐため上方10度へエンジンを傾けることもできるようになっ ていた。  ルフトハンザ航空が発注した3機のうち2機は第二次大戦開戦前に就役し、南大西洋を18回ほど往 復しているが、開戦後は全機がドイツ空軍に徴発されドイツ空軍向けに新造された機体とともにノルウ ェーでの兵員輸送や沿岸哨戒任務などに使用されている。

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1932年にフランス航空省が出した新型夜間爆撃機の仕様書に基づいて開発された機体。両大戦の 狭間となる平和な時代(かつ全世界的に不景気な時代)だったため、航空機メーカー各社は数少ない軍 との契約にからむチャンスだとして積極的にこの仕様書へ応え、5社から設計案が提出されることとな った。  ブロック社の提出した設計は全金属製の固定脚高翼単葉双発機で、同時期に英国で開発された ブリストル・ボンベイや ハンドリ・ページ・ハローなどに似た 4座機であった。  審査の結果、ブロック社の案とファルマン社の案(F221) が採用され、33年に量産が開始された(量産型発注は34年とする説もある)。原型機は設計から推定され る最高速度よりも低い能力しか発揮できなかったが、量産型では信頼性の高いエンジンと、秀でた部分も無い かわりに特に欠点も見あたらない無難な機体であると評価され、最終的に200機以上がフランス空軍へ供給 された。また大型機開発の経験がなかったチェコスロバキアにおいても、当機のライセンス生産が行われている。  第二次大戦が勃発した時点では、フランス空軍の機体は全機が訓練用として格下げされていたが、チェコス ロバキア空軍の機体は第一線の部隊に配備されていた。ドイツ軍の侵攻によりこれらフランス・チェコスロバ キアの機体は鹵獲され、ドイツ空軍の乗員訓練やグライダー曳航、一般貨物輸送などに流用されている。なお、 少数の機体はドイツからブルガリア空軍へ供与されている。

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