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「こんな山奥にイルカ 戦闘がうまいんじゃな 尚、悪意は全く無くむ おしりにロックオン いいか新人、よく聞く 最後は自らがヘッドシ でも実際はヘッドショ 右腕、左腕、右

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おかえりなさいませ 良い曲だよね~ 自己投影感あるな… 奥のフロム臭漂うナニ 大体2ヶ月,,,おかえ 片足義足の幼女が対戦

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フランス航空省が34年に出した要求仕様に基づいて開発された戦闘機。35年の原型機初飛行の時点ではそれなりの水準に達していたが量産が遅れ、38年末の時点で10数機しか配備されていなかった。その後急ピッチで配備が進められ、開戦時にはフランス空軍の主力戦闘機となっていたが、既に旧式化していた。Bf-109Eに比べると最高速度で約100km/h遅く、上昇力も劣っており、低空での格闘戦でどうにか対抗できる性能だった。 フィンランドでは冬戦争中及び後に各型合わせて87機を入手し、第28戦闘機隊で使用した。20mmモーターカノンの信頼性が問題とされ(特に冬季)、しばしばソビエト製のベレジン12.7mm機銃に交換された。

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1936年夏、フィンランド空軍は、ごく安価であること、及びライセンス生産が可能であることから、フォッカーD.XXIの採用を決定した。 フィンランドのタンペレ工場はマーキュリーエンジンのライセンスを持っており、またスキーの装着が容易であることも決定に影響した。この機種は当時最高の戦闘機ではなかったが、ソ連の爆撃機に対しては十分に有効であると考えられた。 フィンランドでは「フォッケル」と呼ばれ、冬戦争では第24・26戦隊の35機のフォッケルが防空の主力となった。I-16と同等の飛行性能で操縦性に優れ(ただし機首上げ時に失速しやすい癖があり、着陸は難しかった)、スキーを装備しても性能が落ちなかったため、パイロットの錬度の差もあって、冬戦争では損失12機に対して121機を撃墜する戦果を上げた。 SARJA3は輸入した7機、限定ライセンス生産した14機に続いて、21機が生産された型。それまでの型とほぼ同一の機体である。初期型は冬戦争に使用された機体、後期型は継続戦争で使用された、防御を強化した機体を表わしている。

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ノモンハン事件・ポーランド侵攻・フィンランドとの冬戦争、スペイン内戦におけるスペイン共和国空軍でも夜間爆撃機として活躍したぜ!

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開発時期を考えると、ノモンハン事件や冬戦争に投入された可能性もあるが、具体的な戦歴は不明だ

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 イタリア王国空軍、初の全金属製戦闘機。初期型の密閉式風防はパイロットに不評で、すぐに開放式に改められた。スペイン内戦で活躍したが、第二次大戦では他国主力機と比べると速度、火力とも劣った。フィンランド空軍も少数だが使用し活躍した。生産数は685機。(設計:Giuseppe Gabrielli)  フィンランドは冬戦争の直前に35機のG.50を購入したが、ドイツの妨害で納品が遅れ、また可変ピッチの凍結防止装置を追加する必要があったため、この戦いには間に合わなかった。続く継続戦争では第26戦闘機隊で使用され、Bf-109Gを入手するまでの間、バッファローに次ぐ主力戦闘機となった。

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冬戦争で活躍した湖北高校の戦車だよ

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フィンランドは冬戦争の直前に35機のG.50を購入したが、ドイツの妨害で納品が遅れ、また可変ピッチの凍結防止装置を追加する必要があったため、この戦いには間に合わなかった。続く継続戦争では第26戦闘機隊で使用され、Bf-109Gを入手するまでの間、バッファローに次ぐ主力戦闘機となった。

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ノルウェー「行かないで!フィンランド、あなたが死んだら冬戦争はどうなってしまうの?   ネ」 フィンランド「お前たちのフィンランドは死んだつまり俺はついていかない」「ひっくスエーデンはフィンとホモゲイヒックす」

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ニコライ・ニコラエビッチ・ポリカルポフの設計室が、R-1(イギリスから輸入したDH.9Aのコピー)の後継機として開発した単発偵察爆撃機。動力はドイツ製BMW VIエンジンのライセンス生産である、500馬力のミクリンM-17液冷エンジン。原型初飛行は1928年秋。 30年代を通じてソ連空軍で使用された他、民間でも軽輸送機として広く使用され、合計約7000機が生産された。 ノモンハン事件・ポーランド侵攻・フィンランドとの冬戦争などで使用された。 スペイン内戦におけるスペイン共和国空軍でも夜間爆撃機として用いられた。

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ハリケーンはバトル・オブ・ブリテン(BoB)で活躍した英軍主力戦闘機。  起源としては、1930年にイギリス航空省から示された高性能な新型戦闘機の開発仕様書に対し、フューリー複葉戦闘機を単葉化するというコンセプトの検討が開始されたことからになる。しかしイギリスの財政難から、この際は複葉のグラディエーターが採用された。ホーカー社は独自に単葉戦闘機の開発を継続し、ロールス・ロイス製の新型V12エンジンや引き込み脚など高性能を狙える新基軸を盛り込めることとなった。これを受けて航空省は1934年末に単葉戦闘機の仕様書を発行して1935年に試作機を発注、同年11月に試作1号機初飛行にこぎつけた。量産されたハリケーンが部隊配備されて実戦参加可能となったのは1937年。  同時期に設計・生産されたスピットファイアとは対照的に、ごく保守的な鋼管フレームに木材・金属混合の構造を採用。帆布貼りの翼/機体で桁構造にも一部木材を使用している。同じエンジン(従って初期型はマイナスGに弱い)のスピットファイアに比べて重く、飛行性能は劣るが、表面帆布貼りのため銃弾は通り抜けやすく金属外板に比べ補修が容易。生産も整備もそれまでのイギリス空軍が慣れた手法を踏襲できたので、スピットファイアの量産態勢が整うまでの間、数でイギリス空軍を支える事が出来た。またスピットファイアと比較して夜間飛行・夜間着陸の安全性の高さを買われ、夜間戦闘機部隊も編成された。BoBでは、対空砲も含め撃墜された敵航空機の半数は、ハリケーンによるスコアである。イギリス本国の部隊が増産されたスピットファイアに置き換わっても、マルタやエジプト、アジア・太平洋地域などでは長らくハリケーンが主力を務めた。また英連邦各国に輸出され活躍した。数々の派生型があり、戦闘爆撃機型や艦載型もある。  Mk.Iは冬戦争時にフィンランドにも輸出されたが、わずか12機だったためほとんど活躍できず、継続戦争初期に前線から下げられた。そのためレンドリースでソビエトに送られたMk.IIとのハリケーン同士の戦いは記録されていない。

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単座複葉戦闘機。複葉で固定脚ではあるがコックピットは密閉式になるなど近代化されている部分もある。試作機の初飛行は1934年、部隊配備は1936年から開始されたが実戦可能となったのは1937年になってしまった。イギリス空軍では大戦初期に活躍、輸出先のフィンランドでは冬戦争・継続戦争でソ連相手に奮戦しエースも輩出した。Stockゲームには収録されていないが着艦フックなどを追加装備した空母搭載型(艦上機仕様 Sea Gladiator)もある。  イギリス航空省が1930年にホーカー・フューリーの後継機として出した新型戦闘機の仕様書F.7/30は、当初高性能な単葉機を求めるものであった。しかしこの時点で各社が製作した試作機は固定脚であったり(主に推薦されたゴスホークエンジンが失敗作だったことによる)エンジンの非力さ・信頼性なさなどにより要求性能にほど遠い駄作ぞろいで、航空省も財政難から結実するか不透明な新型機への投資を躊躇した。グロスター社はこの仕様書に沿わず、前に開発したゴーントレット戦闘機を改良した複葉機を独自開発し、航空省もこの機体で当座を“つなぐ”ことに方針変更してグラディエーターとして採用した。  余談だが、この当初要求されていた単葉機案を各社が独自に進化・洗練させたものが、後にハリケーンやスピットファイアとして結実することとなる。  IL-2 1946内では「J8A」はMk.Iのフィンランド向け型となっているが、本来この型式名はMk.IIのスウェーデン輸出型(余談だがMk.Iのスウェーデン輸出型はJ8)。史実ではスウェーデン義勇兵が装備のJ8とJ8Aをフィンランドに持ち込み、フィンランド空軍の識別マークを塗装してソ連相手に戦ったとの逸話はある。その他ノルウェー、ギリシア等にも輸出。運動性は非常に優れているが低速・低火力で防弾も弱く、Bf 109など単葉機が戦力化された開戦時には明らかに旧式化しており、複葉機を主力とするイタリア空軍以外との戦いではどこでも苦戦した。  

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米海軍が採用した初の全金属引き込み脚付き艦上戦闘機。試作機の初飛行は1937年末。グラマン社の新型機開発(後のF4F)が難航したためブリュースター社(英語の発音を正確に表現するとブルースター社)が提案した本機が採用された。 初期型のF2A-1は1939年6月から配備されたが、これまで飛行機の部品や自動車の製造経験・極少数の飛行機組立経験はあっても飛行機1機全体を量産するのは本機が初めてだったブリュースター社は製造効率が非常に悪く、海軍からの第1次発注数66機に対し最初の半年間で納入できたのが11機しかなかったなど納入の遅延がひどかった。 F2Aの納入が遅れる間にグラマン社はF4Fの完成度を高めることができ、海軍にも採用されて量産に着手した。後から登場したF4Fが性能的に上でもあり納入も順調、海軍では数の揃わないF2Aを見切りつつあって、冬戦争の勃発によりフィンランドへの供与に切り替えられた。 続いて翼への爆装機能追加・パワーアップ型のF2A-2やA-3が生産されたが、増加した重量に対して艦上機としては着陸脚が弱いという欠点も増え、1941年5月までにF4Fに交替して、ミッドウェーなどの基地航空隊にまわされた。またイギリスやオランダにも輸出され、日本軍機の性能が過小評価されていたこともあって、東南アジアの植民地に配備された。これらは太平洋戦争序盤に、日本軍の零戦や隼との戦いで大損害を受けることになる。 本来のアメリカ海軍の要求である艦上戦闘機としては十分な航続力が求められたため燃料搭載量も多かったが、輸出先の陸上運用では航続力の優先度は低かったため、本機の欠点である機動性の悪さを補う目的で燃料を減らした状態で出撃する工夫も行われたと伝えられる。

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この二人ならT-33と思った?                             残念! RF-8ちゃんでした!                                                  【ユニ(キュアコスモ)】(CV上坂すみれ)                              前の「囲む会」で出したのですっかり忘れ―――ゲフンゲフンw スタ組五番目のプリキュアにして二人目の異星人キュアである少女。ある時は銀河級アイドル「マオ」、ある時は「ノットレーダー」の技術者アイワーンの側近「バケニャーン」、更には宇宙を股に掛ける怪盗「ブルーキャット」に変装し暗躍していた。その目的はアイワーンによって石化され壊滅した母星「レインボー」と仲間達の復活であった。ひかる達をも利用しようとしていたが、彼女たちとのかかわりを経て第五の戦士「キュアコスモ」に覚醒。その後も不器用ながら徐々に打ち解けてゆき、遂に仇であるアイワーンとも分かり合いたいと思うまでに変わっていく。本編終了後の数年後にはアイワーンと共にレインボーの復興に尽力している様子が描かれている。過去の経緯から他人と距離を置く傾向があるが、なんだかんだと気遣ったり面倒見たりとツンデレの要素が見受けられる。だがそれがいい。因みに中のヒトである上坂さんは今期某アニメでパフの中のヒトと同じ部のトップを務めて天文班を率い、いずれ宇宙飛行士になる夢を持っているキャラ(巨乳)を演じている。某アイマスの我が嫁もそうだが「宇宙」は「ロシア(ソ連)」と並ぶ彼女のイメージになりつつある様だw                        【RF-8(GAZ-98)】                                         主にロシア(旧ソ)で作られている「アエロサン」と呼ばれるプロペラ推進式のスノーモービルの一種。足回りがソリなので使用範囲が雪上限定なのだがキャタピラの雪上車よりは高速でしかも比較的簡単な部品で簡易的に作れるので民間、軍事問わず用途は広い。この機体は「大祖国戦争(WW2)」や「冬戦争」等に投入され偵察や連絡に使われた。絵中の物は複座仕様だが「ガルパン」本編ではカチューシャのベッド代わりに使われていたので仕切りを外した物と思われる。

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