別府駅 を含むイラストが 2 件見つかりました ( 1 - 2 件目を表示 ) タグで検索

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JR九州787系36ぷらす3のLED行先表示器です。 3号車と6号車には設置されてないので作りようがありません・・・ もし設置されてたら3号車は「ビュッフェ/グリーン個室」とか表示されてたのかなぁ? いつか乗りたい、博多から鹿児島中央行きの便には是非とも乗りたい、、

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伊号第六十三潜水艦殉難者 荼毘之地 1939年訓練のため豊後水道にある水ノ子島灯台の海域へ配備された伊号第六十三潜水艦は伊号第六十潜水艦に右舷から衝突され沈没しました。佐世保凱旋記念館では海軍合同葬が行われ沈没した水深93メートルからの引き揚げ作業が完了したのは沈没の1年後であり、1991年に『伊号第六十三潜水艦殉難者 荼毘之地』の石碑が建立されました。この石碑は瀬会公園キャンプ場の南側にあり、また同地域にある真宗寺(本堂左奥から裏山へ続く階段を上る)と長崎県佐世保市の佐世保海軍墓地には慰霊碑があります。 海軍中佐 友永丈市君誕生地 温泉の街と知られる大分県別府市の出身である海軍軍人・友永丈市はミッドウェー海戦にて空母飛龍の艦載機の一員として戦いました。飛龍の前には赤城や加賀にも乗り込んでおり、加賀では1937年に起きた日中戦争へ参加しその後は宇佐や霞ヶ浦の航空隊を経て飛龍の飛行隊長に着任します。1942年のミッドウェー海戦では敵戦闘機との交戦で燃料タンクに被弾し飛龍へ帰投するも再び出撃し米空母ヨークタウンへ攻撃を行い戦死、その後は生まれ故郷である別府市に『海軍中佐 友永丈市君誕生地』の石碑が建てられグーグルマップでは『友永丈一大尉生誕地碑』と表記されています。 ちなみに飛龍の隣の銅像は油屋熊八という人物で米相場で成功するもその後に相場で失敗し全財産を失い46歳の頃に別府温泉へ移りホテル経営で成功しました。女性バスガイドが案内をする観光バス(別府地獄めぐり)を日本で初めて導入し、大阪の上空から飛行機でビラをまいたりと別府の名を全国に広めた人でした。1935年73歳で別府市にて死去。 場所:瀬会公園キャンプ場・真宗寺 住所:大分県佐伯市上浦大字津井浦 最寄駅:JR浅海井駅 住所:大分県別府市野口中町16−16 最寄駅:JR別府駅 使用モデル つみだんごさん 潜水空母伊401 ゴリマさん 飛龍改二

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