朝鮮出兵 を含むイラストが 4 件見つかりました ( 1 - 4 件目を表示 ) タグで検索

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釜山は元々日本の領土 古代から朝鮮貿易で栄 島全体が要塞化したの 対馬に米軍基地誘致し 対馬(テマド)は1億 ↑ 何て事を云う 琉球と対馬は独立した

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七言絶句で碑文に刻ま おお持国と防人の偉業 40862899さんそのギャ 40862740さん感謝です .40861516さん西洋魔 40861132さん性格含め ばっかり描いてますご 40861005さん私

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鳥類は可愛いんです。かの偉人ルイス・フロイスは言いました。「ぺんぎんぺんぎんひよこくちばし三つで超キュート」更には、あの有名な信長公記にもこう書かれています「信長は幼いころから鳥類が好きだった。主にぺんぎん系とひよこ系が好きだった。」あの織田信長さえもくちばしを愛したのが分かりますね。しかし、信長はある日を境に鳥類から熊にシフトチェンジしてしまったので、熱狂的鳥類好きの明智光秀によって本能寺で打ち取られてしまいます。しかし、熊にシフトチェンジした信長は鳥類もしっかりと愛していたのでした。故に本能寺の変後に信長の遺体が見つからなかったのは、近くを通りかかったぺんぎんが持ち去って隠したからだったのです。今ここに歴史の謎が解けましたね。そして、ぺんぎんが信長の遺体を持ち去ったことに激怒した光秀は鳥類嫌いになりました。そこにやってきたのが鳥類大好き猿こと羽柴秀吉でした。光秀が鳥類嫌いになったと知るや否や秀吉は中国大返しを行いました。光秀は鳥類を嫌いになって3日で天下の座から引き下ろされてしまいます。その後、秀吉は犬好きの不届き者な柴田勝家を倒し、天下への道を着々と進めて行きますが、秀吉も老いてボケボケになりました。鳥類好きだった秀吉は「ちょう」つながりというテキトーな理由で朝鮮出兵を執り行いました。「流石にテキトーすぎる!」と、ぺんぎん達も怒って秀吉の元を去り、徳川家康の元へ行きました。狸と呼ばれていた家康ですが、鳥類が大好きでした。ぺんぎん達は家康と協力して仲間をかき集めます。そのころ秀吉はぺんぎん達が居なくなったショックで死んでしまいました。そして、その後を鼠好きの不届き者石田三成が継ぎました。いよいよ石田VS徳川「関ケ原の戦い」が始まりました。結果は家康の圧勝。鼠嫌いの小早川秀秋の裏切りが戦いを左右しました。こうして家康はぺんぎん達と共に天下を取り、日本を平和へと導いていくのでした。めでたしめでたし。

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もうちょっとましな日本国へ、と考えた結果の始まり部分 ・加藤清正がオランカイへの進軍を自重 ・1592年1月の碧蹄館の戦いで明軍を史実以上に壊滅させ、開城の明軍も加藤清正軍と宇喜多秀家率いる追撃軍で殲滅(総大将李如松打ち取られる) ・こうして時間を稼いでいる間に朝鮮半島南部の足場固めを行う(5月中に完了) ・日本軍は宇喜多秀家率いる10万の兵で平壌で明軍の迎撃準備を行う。(漢城には遥々やって来た秀吉の3万と咸興に島津義弘の1万の予備兵力が待機) ・7月に明軍16万(遼東の軍を総動員)が平壌に攻めてくる。 ・これを、平壌北方で日本軍の火力と奇策と予備兵力の明軍後方への絶妙なタイミングの投入で撃破する(日本軍2万死傷、明軍7万戦死、7万負傷か降伏)。 ・この際、総大将だった遼東方面の軍高官李成梁、副将軍李如柏、劉綎が戦死するか捕らえられている。 ・明の国内情勢としては今回の派兵とボハイの乱、楊応龍の乱により莫大な軍費が嵩んだうえ、遼東方面の軍隊及び高級軍人が壊滅したため、満州で勢力を拡大しつつあるヌルハチに対して抑えが利かなくなりつつあった。 ・これ以上の派兵は限界と感じた明は日本と講和を行う。 ・平壌での講和会議で日本軍は京畿道と江原道より南を割譲される。 ・『その後の検地と各武将への領土配分の結果が今回の地図』 ・その後、ヌルハチの要請を受けて日本は援軍を派遣したり、秀吉の死後家康の暗躍で豊臣軍は関ヶ原で徳川軍、漢城北方で朝鮮軍の攻撃にあったりするが何とか退ける予定(未定) ・以上長文の妄想でした ・加筆修正する予定もあったりなかったり

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