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Performing Artists Feared by the Aristocrats of the Ancient Yamato 『日本霊異記』 【一体、善と悪との前兆が現われようとするときは、その善悪の前兆はまず前もって物の形となって、国々をめぐり歩いて歌って示す。そのとき国々の人々は、その歌声を聞き、出て歌って伝え広める。 〔中略〕 ここからまさに、災難の前兆がまず前から現れて、のちに実際の災難が来ることを知るがよい。】 (出典: 景戒 [著者], 「第三十八 災いと善との前兆があって、後でそれが現われた話」, (1967年), 『日本霊異記 (東洋文庫)』; 227, 234~235ページ.) 『古代中世芸術論』 【「一城の人、みな狂へるが如」き大田楽を、「けだし霊狐の所為なり」と評すところに、伝統的な芸能観の一端をうかがうことが可能である。  すなわち、古代日本では、大衆的な芸能の勃興が、事変の予兆を意味するという観念が強く存在していた。例えば『日本霊異記』下巻第三十八話に、「夫(そ)れ善と悪との表相、現はれ将(む)とする時は、彼(そ)の善厲(ぜんれい)の表相に、先づ兼ねて物の形を作し、天の下の国を周(めぐ)リ行(ある)キて、歌詠(うた)ヒて示す。時に天の下の国人、彼(そ)の歌音(うたごえ)を聞き、出で詠(うた)ひて伝通す云々といへり」と見える。そこには、奈良朝の動乱が、いつも不思議な「童謡(わざうた)」によって導かれたとする主張が、逐一具体例を挙げて、展開されているのである。  『洛陽田楽記』では、郁芳門院の急死と田楽蜂起の因果関係を示唆して結語としている。やや後年、嘉承元年(一一〇六) 六月にも田楽の大流行があり、「京中の下人ら田楽の興を作し、(中略)数千党をなして道路を横行」、やがて田楽の衆の間に闘争が生じ、命を失う者も出る騒ぎとなった。〔中略〕たび重なる田楽の大衆行動を眼前にして、「不吉」を感じずにはおられなかったのである。  そして、芸能の爆発的昻揚に対する支配者の不安の念は、さらに下って、室町時代、幸若舞の盛行を見た一公家が、それを「乱世の声」と聞いたのにまでひきつがれていくのである。】 (出典: 守屋毅 (1973年) 「洛陽田楽記」, 「解題」, 『日本思想大系 23 古代中世芸術論』, 岩波書店, 758ページ.)

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Performing Artists Feared by the Aristocrats of the Yamato 『日本霊異記』 【一体、善と悪との前兆が現われようとするときは、その善悪の前兆はまず前もって物の形となって、国々をめぐり歩いて歌って示す。そのとき国々の人々は、その歌声を聞き、出て歌って伝え広める。 〔中略〕 ここからまさに、災難の前兆がまず前から現れて、のちに実際の災難が来ることを知るがよい。】 (出典: 景戒 [著者], 「第三十八 災いと善との前兆があって、後でそれが現われた話」, (1967年), 『日本霊異記 (東洋文庫)』; 227, 234~235ページ.) 『古代中世芸術論』 【「一城の人、みな狂へるが如」き大田楽を、「けだし霊狐の所為なり」と評すところに、伝統的な芸能観の一端をうかがうことが可能である。  すなわち、古代日本では、大衆的な芸能の勃興が、事変の予兆を意味するという観念が強く存在していた。例えば『日本霊異記』下巻第三十八話に、「夫(そ)れ善と悪との表相、現はれ将(む)とする時は、彼(そ)の善厲(ぜんれい)の表相に、先づ兼ねて物の形を作し、天の下の国を周(めぐ)リ行(ある)キて、歌詠(うた)ヒて示す。時に天の下の国人、彼(そ)の歌音(うたごえ)を聞き、出で詠(うた)ひて伝通す云々といへり」と見える。そこには、奈良朝の動乱が、いつも不思議な「童謡(わざうた)」によって導かれたとする主張が、逐一具体例を挙げて、展開されているのである。  『洛陽田楽記』では、郁芳門院の急死と田楽蜂起の因果関係を示唆して結語としている。やや後年、嘉承元年(一一〇六) 六月にも田楽の大流行があり、「京中の下人ら田楽の興を作し、(中略)数千党をなして道路を横行」、やがて田楽の衆の間に闘争が生じ、命を失う者も出る騒ぎとなった。〔中略〕たび重なる田楽の大衆行動を眼前にして、「不吉」を感じずにはおられなかったのである。  そして、芸能の爆発的昻揚に対する支配者の不安の念は、さらに下って、室町時代、幸若舞の盛行を見た一公家が、それを「乱世の声」と聞いたのにまでひきつがれていくのである。】 (出典: 守屋毅 (1973年) 「洛陽田楽記」, 「解題」, 『日本思想大系 23 古代中世芸術論』, 岩波書店, 758ページ.)

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『捜神記』 【管輅(ろ)が平原(山東省)を通りかかったとき、顔超という少年の人相を見て、若死の相があらわれていると判断した。すると、顔の父親が寿命をのばしてほしいとたのんだので、餡は答えた。 「家に帰って、清酒一樽と、鹿の乾肉一斤とを買っておきなさい。卯(う)の日に、麦の刈りあとの南側の大きな桑の木の蔭で、二人の男が碁を打っているはずだ。そこへ行って酒をついでやり、乾肉を出しなさい。 飲んでしまったらまたついでやり、ぜんぶなくなるまで続けるのだ。もしなにか尋ねたら、ただ頭を下げていればよい。 口をきいてはいかんぞ。 そうすれば、きっと誰かがお前を助けてくれるだろう」  顔が言われたとおりに行ってみると、果して二人の男が碁を打っている。顔は乾肉をさし出し、酒をついでやった。二人は勝負に夢中になっていて、 盃を口にはこび、乾肉をつまむばかりで、顔の方は見向きもしない。飲みほしてはまたついでやり、何度かくりかえしているうちに、北側に坐っている男が、ふと顔がいるのに気づいて、叱りつけた。 「なぜここにいるんだ?」  顔が頭を下げてばかりいると、南側に坐っている男が口を出した。 「さっきからこの若者の酒を飲んでいたとあっては、返礼なしにはすむまいなあ」  すると北側の男は、 「しかし閻魔(えんま)帳がもう決まっているんだ」  と言ったが、南側の男は、 「ちょっと閻魔帳を見せてごらん」  と、帳簿を手にとって見ると、顔の寿命は十九歳までとなっている。男は筆をとって上下顚倒のしるしをつけ、 「お前の寿命をのばして、九十まで生きられるようにしてやったぞ」  と言った。顔は頭を下げ、家に帰った。  あとで輅は、顔にこう説明した。 「君の力になれたなあ。まあ、寿命がのびてけっこうだ。じつは、北側に坐っていた男が北斗星、南側に坐っていた男が南斗星だったのだ。南斗星は生をつかさどり、北斗星は死をつかさどるものでな。人間はすべて、母の胎内に宿ってからは、南斗星から北斗星の方へ進んで行くのだ。だからいっさいの願い事は、みな北斗星にお願いするのさ」】 (出典: 干宝 [著者], 竹田晃 [翻訳], 「54 北斗星と南斗星」, 『捜神記 巻三』, (1964年), 『捜神記 (東洋文庫0010)』, 平凡社, 57ページ2段目~59ページ1段目.)

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