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この日の丸(灰色)は

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↑高野司令長官は照和 そこで電征ですよ 伍長さん絵にも挑戦と はだしのゲン提督思い 艦娘が進水縛りしてる 疾風の艦上機化でもい なんでや!機体統一出 F35Bですね、わかり

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MC.202の発展型としてDB605Aの国産化により開発され、MC.202からの生産移行が容易との判断で制式採用された。その性能は期待を裏切らずP-51に対抗できたと言われる。しかし元々次期戦闘機の繋ぎで採用されたため生産機数はわずかで、生産資料紛失で実数は確定できないものの、300機前後と思われる。MC.202との大きな概観上の違いは丸みを帯びたスピナー、カウリング、機首下面のオイルクーラー、引き込み式尾輪などである。(設計:Mario Castoldi)

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35年に初飛行したカーチス・ホーク75は、アメリカ陸軍でP-36ホークとして採用された他、フランス等に輸出された当時のベストセラー戦闘機の一つであった(フランスとノルウェーに輸出された機体はドイツに捕獲された後フィンランドに輸出され、1個戦隊が編成されて継続戦争で使用された)。38年にアメリカ陸軍が次期戦闘機の審査を行った際、カーチス社はP-36のエンジンを液冷に換装したXP-40を提出した。基本設計が古いため凡庸な性能だが、安価ですぐに量産が可能だったため、P-38やP-39の開発と平行して、P-40ウォーホークとして大量に発注された。また、ソ連空軍のP-40Mをフィンランド空軍が鹵獲して使用したり、ビルマ・ラングーン防空のために日本陸軍が臨時処置で鹵獲したP-40Eで特殊防空戦闘隊を編成したり連合軍以外での使用例もある。 アメリカ参戦の時点ではP-40が陸軍航空隊の主力だったが、零戦や隼との戦いでは上昇力と旋回性能が大幅に劣り、またパイロットが古典的な旋回格闘戦のみ教えられていたため大損害を受けた。例外は日中戦争で日本機の性能や戦法を観察していたシェンノート率いる、フライングタイガースであった。徹底した一撃離脱戦法により、飛行第64戦隊(いわゆる加藤隼戦闘隊)を始めとする日本機と互角以上の戦いをした。 P-38やP-47の配備が進むにつれP-40は第2線機となったが、大量生産がきき、頑丈で信頼性に優れたP-40は、凡庸な飛行性能にもかかわらず大戦の序盤を持ちこたえることになった。

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1930年代初頭に開発されたDewoitine(デヴォアティーヌ、日本語表記ゆれでドボワチーヌやドボワチン等と書かれることもあった)製戦闘機。 パラソル翼に当時としては強力なGnome-Rhone K-14Kbrs(800hp)を搭載し、14Kds(900hp)に換装したD.372は高度4500で最高時速400kmを記録した。 フランス空軍での活動は主翼や空力構造の欠陥から航空廠と部隊の間を行ったり来たりしている間にM.406が登場し、海軍型のD.373がフランスでの運用の主力となった(これも少ない。そもそも空母はペアルン一隻である。更には艦上運用の技術的問題から陸に下されている…)。 ・活躍 搭載エンジンの急停止や主翼の強度不足に悩まされた本機だったが、後にリトアニア空軍次期戦闘機の座をP.24と争い勝ち取ったことで日の目を見る事となる。 リトアニアへ発送される筈だったD.371は、スペイン内乱の勃発により急遽スペイン共和国政府に送られることになり(リトアニアには代償としてD.501が送られた。こっちの方が高性能である…)凡そ7機がアンダルシアの前線に到着した。本機は持ち前の高速性を生かし、内戦序盤のマドリード前面の戦いからエプロ渡河作戦まで活躍した。アンドレ・マルローの報告によれば二機のCR.32を撃墜している模様。 最後の機体が失われたのは1939年初旬で、スペイン内乱終結の年であった。

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