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浙贛作戦第十三軍経過概要図【第一期作戦まで】の続きです。浙贛作戦は本土空襲阻止という目的もあり、大本営は当時第13軍が計画していた十九号作戦(南京南方の廣徳・寧國付近への作戦)を急遽中止させてまで行うよう指示を出した作戦で、「迅速」かつ「確実」に目的(飛行場の破壊)を達成するため、北支那方面軍から多くの兵力を第13軍に転用しました。ただ、事態が急を要する為、北支那方面軍からの増援部隊が集結する前に攻勢を開始しています。浙贛作戦は当初、大本営の構想では40数個大隊の兵力で行い浙江省の飛行場を破壊する「浙江作戦」とされましたが、支那派遣軍・第13軍の構想などにより実際には北支那方面軍からの増援部隊も含め89個大隊が参加し、飛行場破壊および敵第3戦区軍撃破・浙贛線打通を目指した浙江省(=浙)のみならず江西省(=贛)まで進攻した「浙贛作戦」となった経緯があります。【中支方面態勢について】支那派遣軍のうち、中支方面に展開する軍としては、漢口に司令部を置き第6戦区軍および第9戦区軍と宜昌・岳州方面で対峙する強力な野戦軍である第11軍、上海に司令部を置き主として占領地の治安粛正を行う第13軍があります。昭和13年末の武漢作戦、昭和15年5月の宜昌作戦以降は世界情勢の変局等で大規模な進攻作戦は行われず、大東亜戦争開戦後は主戦場が南方に移ったこともあり、中支方面の態勢が大きく変化するのは昭和19年の大陸打通作戦以降になります。【訂正】歩兵第34連隊〔第1,3大隊欠〕→歩兵第34連隊〔第1,2大隊欠〕

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浙贛作戦第11軍方面作戦の作戦終結までです。敵第58軍を撃破し、7月上旬までに敵10個師に大打撃を与えた第11軍は、一部部隊を原駐地へ帰還させ、一部をもって要域を確保しつつ近接する敵を撃破し第13軍の作戦に策応する態勢に移りました。第3師団の三単位師団への改編に伴い、新設の第29師団(満洲)へ編入予定の第3師団の一部(歩兵第29旅団司令部・歩兵第18連隊)、建昌より撤収した今井支隊が撫州地区より、竹原支隊が杜家圍北方地区より反転を開始、南昌を経て原駐地へ向かいました。(竹原支隊は軍予備として南昌へ残置)この一部部隊の反転に際し、敵は第11軍の全面的反転と誤認し貴溪~東郷に約3個師、撫州~三江口に第58,79軍(残存兵力)を出撃させてきました。この為軍は南昌にあった竹原支隊を一部を第34師団に、主力を撫州方面に派遣し、第34師団は貴陽・鷹潭地区において、第3師団の残置部隊(塘支隊)は撫州南方地区において、井出支隊は西進孟地区において、それぞれ出撃した敵を撃破・潰走させ、さらに付近一帯を掃蕩しました。掃蕩を終えた各部隊は、派遣軍命令および第13軍との協定に基づき8月19日より一斉に反転を開始、各部隊とも敵の追尾を受けることなく南昌に集結を完了し、27日、浙贛作戦を終了しました。今作戦時において中国軍は、当初第11軍の南昌集中により攻勢企図を察知はしたものの、江西省方面へ向かうのか、長沙方面へ向かうのか判断できなかった為、贛江西岸兵力の保全を図りつつ、贛江東岸に第79,58,4軍と逐次投入し各個撃破されるに至りました。この戦いにおいて、兵力集中・協同作業・独断専行という中国軍の弱点が遺憾なく暴露されました。

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昭和17年5月~9月にかけて第13軍が行った「浙贛作戦(せ号作戦)」を戦史叢書を元に描いてみました。昭和17年4月、ドゥーリットル空襲を行った米爆撃機の着陸予定地点であった浙江省衢州・玉山・麗水等の飛行場を占領破壊し本土空襲の再発を防ぐという目的の作戦で、作戦距離約400kmという大作戦でしたが、同時期に行われたミッドウェー作戦もあってか全く語られていない作戦です。浙贛作戦は大きく分けて、攻勢開始の5月15日から金華・蘭谿攻略後の5月29日までを「第一期」、5月30日からの衢州攻略戦および廣信方面への追撃戦の6月15日までを「第二期」、占領地区での駐留作戦および各方面への撃滅作戦の8月14日までを「第三期」、8月15日からの反転作戦と飛行場破壊完遂、9月30日の作戦終結までを「第四期」となります。また、第13軍の他に、西(南昌方面)からも第11軍が2個師団をもって攻勢をかけました。第一期作戦は、展開した各部隊のうち特に左翼に重点を置きつつ安華街・長樂・義烏付近の敵有力陣地を突破し、次に重点を右翼に転換し金華・蘭谿東方地区へ追撃、金華付近の敵第10集団軍主力の退避行動に鑑み衢州西方地区への追撃を発動し、第70師団と第15師団は金華・蘭谿を攻略、さらに各部隊は龍游南北の線において兵力を集中、衢州攻略を準備する という状況です。第一期作戦では、敵第10集団軍の第88軍および暫編第9軍に相当な打撃を与えました。しかし蘭谿において、第15師団長酒井直次中将が地雷により戦死するという、帝国陸軍創設以来初めて現職師団長が戦死するといった事態も発生しました。浙贛作戦第一期作戦の記録映像としては、日本ニュース第103号(昭和17年5月27日)があります。 ちなみに、作戦名の「浙」とは浙江省、「贛」は江西省のことです。【訂正】暫編師-ND→暫編師-TD

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