町外れの一角にある洋館。その一室で、撫子は一人の少女と対面していた。一本に結った黒い長髪に軍人然とした格好、そしてその長身が相まって、男役のような凛々しさを漂わせている。「ようこそ、“同志”日向。わざわざ訪ねて来る、とは。珍しいことも、ある…」そんな目を引く背格好とは対照的に、鈴を転がすような声で、ぽつりぽつりと彼女は喋る。「お久しぶり、常雪さん。その時代錯誤な呼び方も、相変わらずね」名を呼ばれた少女…常雪柊(つねゆきしゅう)は、皮肉に眉一つ動かすことなく、淡々と返す。「私は、嫌いじゃない。連帯感を示す、良い言葉」「…そ。まぁいいわ、本題に入るわよ」「…聞こう」撫子は深呼吸して、自分の意思を告げた。「……私、“共同体”を抜ける。これ、お偉方に返しておいて」そう言い、撫子は十字を象ったバッジを放り投げる。柊はそれを難なく受け取って、首を傾げた。「…随分と、急な話」「そうね。でも社会を守るなんて、私には荷が重すぎたみたい」肩を竦めて撫子は答える。「…よく、分かった。話は、通しておく」「ありがとう。話が早くて助かるわ。そうだ…最後にもう一つ」「…なに？」「例の子たち、なかなか骨があるわよ。力ずくで抑えるつもりなら、覚悟することね。…それじゃ、ごきげんよう」ひらひらと手を振って、撫子は部屋を去って行った。「…振られましたな、お嬢」そう背後から茶化すのは、人好きのする顔をした西洋人。「…口を慎んで、サーシャ」柊は振り向かず、それを戒める。「おっと、これは失敬。ですが、これで駒が一つ減りました」「…問題ない。我々は、任務を継続。不穏な動きがあれば、対処」「Вас понял, капитан(了解しました、隊長殿)」袂を分かつ者と、留まる者。己の信念によって、人の歩む道は変わる。だが、足元の些事など露知らず。透き通った青空は、彼等の頭上に広がっていた。次→im10758499前→im10746654最初→im10672240

「汝は醜き復讐の象徴にして、執念深き狩人。身に宿すは毒、心に宿すは呪詛。這え、喰らえ、彼の者に堪え難き苦痛と真の恐怖とを知らしめよ…」アスタロトが唱えると、彼の周囲を覆っていたオーラは背中と剣に集約されて行く。背中に向かったものは、彼が確かに悪魔であることを誇示するように、二対の翼へと変幻する。剣に向かったものは、螺旋状に渦巻いて蛇の装飾へと入り込み、やがて独りでに動き出す。黒い大蛇へと変貌したそれは、剣を離れて地を這い怪異へと飛びかかる。そして凄まじい力で怪異の腹を締め上げ、首筋の横から顔を出して胸元へと食らいつく。間も無く怪異の身体は膨れ上がり、そこから小さな蛇たちが肉を食い破って次々と飛び出して来た。「…他愛ない」思わず目を背けたくなる光景に口を押さえた私とは対照的に、アスタロトはつまらなそうにそれを見つめていた。…怪異の目から光が徐々に失われ、異界が轟々と音を立てて崩れ始める。そんな最中、怪異の身体から抜け出す緑色の光を、私は見逃さなかった。鞭を左手で拾い上げ、痛みに悲鳴を上げる身体を動かし、私は光を追いかける。「撫子ちゃん、無茶よ！戻って！」そんな姉さんの言葉も聞かずに走り怪異の霊体に追いつくと、ありったけの力で鞭を振るう。鞭は霊体に絡みつき、どうにか拘束に成功した。けれども、奴を倒すだけの力は最早、私に残されてはいない。ならば、道は一つ。「…私たちのような思いを、もう二度と他の誰かに味わわせたりはしない。だからお前を道連れにして私も死ぬ。それが今まで逃げ、過ちを犯してきた私の…贖罪よ」崩れ行く異界。私の身体と怪異の魂は限りない闇の中に落ちていく。…これで良かったとは思う。心残りと言えば、私に気付きを与えてくれた、本当に“仲間”と呼べる人々との別れ。(ちょっと、残念だな…)薄れる意識の中で、私は思う。「…んのっ、バカ女ッ！！」響く怒号。翻る真紅の衣装。闇を切り裂き現れた剣士の剣は虹色に煌いて、辺りを眩く照らしていた。次→im10746654前→im10738065最初→im10672240

チップスが疾走して距離を詰める。二人も迎え撃つが、敏捷性では犬のそれに及ぶべくもない。チップスは縦横無尽に走り回って彼女たちを翻弄し、やがて五百旗頭さんの左腕に食らい付いた。「ぐっ…！」必死に振りほどこうと彼女は踠くが、鋭い牙は彼女の腕を捕らえて離さない。「桜さん！！」私は気を失った“依代”を突き飛ばしてから、隙を見せた不死原さんに照準を絞った。「よそ見してると…危ないわよ！」右手から生まれた稲妻は、不死原さん目掛けて一直線に伸びる。終わりね、と思ったのも束の間。紫の刃が頬を掠め、じわりとした痛みが走る。対して私の攻撃は、彼女が展開した障壁によって防がれていた。「へぇ…さっきのはフェイクだったってこと？」私は顔を歪ませる。「信用ならない人間に、手の内を全て晒すとお思いですか？」“物置の魔女”は冷徹にそう返す。今まであえて接近戦を繰り広げ、術を主軸とする本来の戦法を隠していたという訳だ。本当に、油断も隙も無い女だ。「このっ…いい加減に、離れろっ！！」一方、五百旗頭さんはチップスを振り払うために剣を突き出すが、それを察知したチップスは牙の拘束を解いて後退する。…その僅かな間隙が、彼女たちに態勢を立て直す猶予を与えてしまった。「…桜さん！私たちも呼びますよ！」「…オーケー。きっちりお返ししないとね！」二人は頷き合うと、不死原さんは腕を交差し、五百旗頭さんは剣を頭上に掲げた。「来い！フギン！ムニン！」「オスカーーーーーッ！！」…正直、私は二人を侮っていた。理想を語りながら、所詮実力の伴っていない素人たちだと。それが“共同体”の術者でも限られた者しか出来ない使い魔の召喚を、こうも易々とやってのけるとは。そんな驚きの傍ら、ふつふつと胸から湧き上がる高揚感を、私は確かに感じていた。「…面白い！本当に面白いわ、貴女たち！」興奮を抑えきれず、私は手を広げて哄笑する。「出し惜しみは無しよ。さあ、もっと宴を楽しみましょう？」次→im10726238前→im10718335最初→im10672240