要求仕様書 を含むイラストが 4 件見つかりました ( 1 - 4 件目を表示 ) タグで検索

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マイクラよ、私は帰ってきたぞ! どうもお久しぶりです。約1年ぶりの投稿になります天津風です。 投稿がなんで遅れたかだって?PC買い換えた時にデータは引き継げたけどHAC等のmodが入らずに製造が出来なかったからです。すいません。 今回は我が国初の国産主力戦車 AzT-1A1 を投稿しました。 この戦車の我が国がこつこつ技術をためて作った戦車です。 しかし、あまりにものんびりしていたためにMBTのいない陸軍の戦闘能力は絶望的なものになっており、それに危機感を覚えた政府が陸軍に対して圧力をかけ、まだ開発中だった戦車を他国の主力戦車(旧式)なら対抗できるということで半ば強引に制式採用させた戦車がこれです。 そのため、本来の要求仕様書通りとは行かずに、搭載予定だった水流複合装甲は前面水流装甲に留められたり、自動装填装置の装薬チェストが少ないために継戦能力が低かったりするなどの問題点を抱えており、それらを克服した次期主力戦車の開発が急がれています。 今回の戦車騒動の結果、海洋国家であるため今までのんびりと戦車開発をしていた陸軍も危機感を持ち、急速に次期装備の開発を始め、また海軍に重点的に予算を振っていた政府側も今回の問題は陸軍予算が少なく、開発費が足りなかったために起こったとして陸軍の予算を大幅に増やす決定をしたために、結果的に我が国の陸軍が強化される第一歩を踏み出すこととなりました。 写真の森林迷彩仕様の戦車は第1戦車連隊所属のAzT-1A1です。

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英軍のモスキートB.MkIV(爆撃・偵察型)  第2次世界大戦で最も活躍した連合国機の一つであり、戦後は映画の主役(?)にもなったモスキートであるが、 その誕生は決して歓迎されたわけではなかった。  他の名機の多くは軍の要求仕様書に基づいて設計制作されるが、このモスキートは空軍の猛反対を押し切って製 造され、ダンケルク撤退後に3度も製造計画が中断されたほどであった。全木製で非武装の爆撃機が有効であるは ずがないという官僚たちの反対もあり、偵察機として製造が認められたのは1940年3月のことであった。  設計値での最高速度がスピットファイアよ り30km/hも速いことなど空軍関係者の誰もが信じていなかったのだが、1941年2月に試験飛行を行った 原型機が630km/hという最高速を出し、当時の英国最高速戦闘機の記録を30km/h以上上回ったときの 空軍省の驚きは如何様なものであっただろうか。  正式採用後のモスキートは各種の派生型・改良型が製造され、爆撃機・偵察機・雷撃機・高々度戦闘機・夜間戦 闘機・戦闘爆撃機・電子戦機など多種多様の任務に従事した。  戦後もモスキートの製造は続けられ、最後のモスキートは1950年11月に引き渡され、英連邦以外にもベル ギー、中国、チェコスロバキア、デンマーク、ドミニカ、フランス、イスラエルなどの多数の国で使用された。

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米陸軍の要求仕様書に応えて設計されたメリーランドの 流れを汲む機体であるが、こちらは英軍の詳細要求により設計された。  メリーランドよりも強力なエンジンを持ち、搭乗員間で直接連絡が可能なように胴体部が拡大 されている(それでも幅が狭かったため搭乗員同士が飛行中に場所を入れ替わる事は不可能であ ったと言われる)。  英国は1940年5月に当機を400機発注し、米国で武器貸与法が発効するとさらに追加発 注をおこなっている。計1,575機(英国発注1,000機、米陸軍発注の貸与機575機(6 00機未満との説もある)。米陸軍は貸与用として発注したのみで、自軍では使用していない) が生産されたが、これらの機体の一部は貨物船によって運搬中に大西洋で失われたものもあった。  英軍が受領した機体は地中海沿岸地域で軽爆撃機として使用されており、英軍からオーストラ リア空軍や自由フランス空軍、南アフリカ空軍などへ割り振られた機体もあった。またイタリア が休戦後に連合軍へ加わった際、イタリア空軍へ英軍機の一部が供与されている。

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 1939年に艦上戦闘機を求めて英国海軍が出した要求仕様書N.9/39により開発が始まった機体。 翌年出された要求仕様書N.11/40に基づいて原型機3機が製作された。  原型機および生産前機にはネピア・セイバーエンジンが搭載されたが、セイバーエンジンの供給は タイフーンに割り当てられたため、 主要生産型では星形空冷のブリストル・セントーラスエンジンに変更されている。TF.II以降の機 体は主脚の間隔を広げ、車輪室の間に航空魚雷1本を搭載できるようにされ、空戦と攻撃だけでなく雷 撃をもこなせる世界的にも珍しい艦上機となっている。実際に海軍では当機を『戦闘雷撃機』(torpedo-strike fighter) というカテゴリに類別した。  第二次大戦中に部隊配備された機体は生産前機T.Iと初期型のTF.IIのみで、その 他の機体は第二次大戦終結後に配備となったため活躍の場は残されていなかった。操縦性を改善された TF.4は終戦直前に完成したが、量産型納入は終戦後となり、その後1950年代初頭に ウェストランド・ワイバーンに 後を託して消えていった。

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