19世紀 フランス を含むイラストが 18 件見つかりました ( 1 - 18 件目を表示 ) タグで検索
↑だから過去は囚われ 「心に残るのは―― 私 「過去を無かった事に ↑6 そのビスマルクの いつも思うけどうp主 記憶も有限だからね… タッケテー!タッケテ 超古代核戦争説と
ナビエ・ストークス方 大航海時代、未知の海 左は解けたらお金もら かばんちゃん「おかし 農耕が転機とは 必要 偏微分方程式 わからん。全然わから ↑かばんちゃんの書い 3
↑②ですかね 日本みたいな国家が自 サブリミナルってやつ 某神とかもそうだけど かつてUSOジャパンと いい歌だと思うんだけ TV宣教師が勢力を誇っ そして僕が思うニーチ 人
立ち絵の手がアイアイ ↑2 なんか猿というよ むしろリアルのアイア アイアイの歌の陽気な 3人中4位の人かな? 上野動物園で会えます アイアイ=サンのスリ ↑なお現在はわり
↑ギリシャ「ハックシ そして組織は肥大・腐 メイス兵の時間だコラ オーロックスの尻肉の すまじきものは宮仕え 「ドリアン・グレイの そして権限が大きくな もう国民全員公
体操服とマイナーな銃のコンボが続きます。 珍しいモデルを見つけたのでお借りしました。うどんげが左手に持っているのはドライゼ・ライフル、右手に持っているのはピンファイヤ・リボルバー。 どちらも19世紀半ば頃、ヨーロッパで発明された銃です。 当時は弾丸と火薬は銃口から装填するのが当たり前だった時代。ドイツのドライゼという人がボルト(閉鎖栓)を開いて銃身後部から装填する方式を発明しました。 弾込めが速くなるというメリットがあるものの、薬莢が紙製だったため、発砲時に燃えてしまい、ボルトと銃身の合わせ目から火薬の燃焼ガスが漏れる、 発砲するたびに撃針がガスにさらされてだんだんもろくなり、折れやすくなるなどの欠点がありました。それでも1841年、プロイセンが歩兵銃として採用。 敵よりも速く弾込めができる効果は大きく、デンマークやオーストリアとの戦争で戦いを有利に進めることができました。勢いに乗って、フランスとの戦いにも勝利をおさめ、 プロイセンを中心とするドイツ帝国が成立。ドライゼ・ライフルは帝国成立の推進役といえるかもしれません。 お借りしたもの 鈴仙・優曇華院・イナバ改変 体操服ver1.016( 3A07gun (ブルマP) 様 ) ドライゼ銃(カクタス様) ↑Xファイル形式。PMXエディタでPMXファイルに変換。ちょっとだけ改造してあります。 LE FAUCHEUX(ル・フォショウ)(釣星 Anri /浅村Anri様) ↑0.8倍にリサイズ。 PMXエディタ0.2.5.7c(極北P様)
右側に並んでいるのがピンファイヤ・カートリッジ。薬莢の下部にピンが付きだしています。薬莢の穴に差し込まれたピンの先には雷管がセットされ、 撃鉄がピンを叩くと雷管が発火、発砲となります。ドライゼ・ライフル同様、19世紀半ばの最先端技術です。 フランス人のカジミア・ルホウショウという人が1835年に特許を取得。後に跡を継いだ息子のユージンが大工場を建てて、銃弾薬の大量生産・販売を開始。 もっぱら民間向けに販売されたようですが、フランス海軍やノルウェー・デンマークなどが軍用として採用。銃や弾を落とすと床や地面にピンが当たって暴発するという欠点が あったものの、ビジネス的には成功だったようです。 左に並んでいるのは、ドライゼ用の弾薬。メタセコで作ってPMX化したもの。なんだこれ。やるんじゃなかったw 細長い紙を筒状に巻き、底に丸い紙を糊付けして塞ぎ、一発分の火薬と弾丸・雷管のセットを入れて、口を紐で縛って出来上がり。先端には、潤滑剤が塗ってあります。 発砲時、銃身内の弾丸の滑りを良くして、鉛がこびりつくのを軽減します。潤滑剤は溶かした牛脂や蜜蝋。一番いいのは、ジャパン・ワックス。ハゼの実から絞った油だそうです。 お借りしたもの 鈴仙・優曇華院・イナバ改変 体操服ver1.016( 3A07gun (ブルマP) 様 ) ドライゼ銃(カクタス様) ↑銃身を短くして騎兵銃にしてみました。 LE FAUCHEUX(ル・フォショウ)(釣星 Anri /浅村Anri様) ↑0.8倍にリサイズ。弾はエディタで1個だけ残して出力したものです。 PMXエディタ0.2.5.7c(極北P様)
まだ無名の砲門数80門二等戦列艦です! 19世紀のイギリスやフランスでは既存の戦列艦に 蒸気機関を導入した艦艇も登場していましたが 運用していた期間は10年程度だったそうです 砲門の数を維持する為に戦列艦では外輪式を避け スクリュー推進式を採用していたみたいです モデルはフランスのナポレオンとイギリスのHMSデュークです
Bataille de colline fleurie. 19世紀初頭の春、とある丘での歴史に残らない小さな戦い。 第72戦列歩兵連隊前衛は敵に先んじて高地を押さえることに成功したが、連隊主力と砲兵の到着前に敵軍は攻勢に踏み切った。中隊から選抜された二人は側面の狭い登山道を確保すべく、背の低い石壁を頼りに戦場へ赴いたのだった。