1943 を含むイラストが 207 件見つかりました ( 161 - 180 件目を表示 ) タグで検索

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左舷後部に被雷するも無事に回航できたのでちょっと左足とお尻をぬちょぬちょされるだけだから大丈夫

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タイトル通り、イギリスの戦艦クイーン・エリザベス(HMS Queen Elizabeth)を作ってみました。 迷彩は1943年のクイーン・エリザベス仕様。 バーラムも製作中ですが、今日中の完成はムリだろうなぁ。

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主翼と胴体にミートボール、尾翼にストライプ入れてみました。                     【ヒジョ~に頂点数の多いモデルさん。今回改めて集計してみたら合計2,166,284頂点。銃座が489,132頂点ありますからコレを他のモデルさんに交換するだけで随分軽く?                      【珊瑚海後半・ミッドウェーと、ドーントレスと比べ一方的な被害担当役であり97式艦攻に劣る性能であった事は否めませんが珊瑚海海戦緒戦に祥鳳へ魚雷7本を命中させたのはこの機体。1942年6月のミッドウェー海戦にはTBFへの機種変が既に始まっていたというのが何とも。天山の実戦投入は1943年12月の第6次ブーゲンビル島沖航空戦、まして流星は1945年ですもんねぇ・・

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大祖国戦争序盤において、これまでの53-K 45mm対戦車砲がドイツ国防軍のIII号戦車やIV号戦車にかろうじて対抗可能であったという状況から、赤軍は1942年に改良型の45mm対戦車砲であるM-42対戦車砲を開発した。 基本構造はこれまでの53-K対戦車砲と同一であるが、初速(760m/sから870m/sへ)向上のために装薬を増量し砲身が延長され、重量増加を抑えるために防盾が薄くなっている。大量生産のための簡素化も行われている。1943年には部隊配備が開始されたが、ドイツ軍の新型戦車であるパンター中戦車やティーガー重戦車の正面装甲を撃ち抜くことはできなかったため、待ち伏せでIV号戦車やパンターの側面を狙うようになり、榴弾や散弾を発射しての対人戦闘に従事することも多かった。 終戦後の1945年中ごろには生産が終了した。

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1937年に中止された「ウラル爆撃機」計画に続いてドイツ空軍省は戦争用強力爆撃機である 「爆撃機A」計画を提言した。計画された性能は当時の技術力では現実の難しいものであり、しか も急降下爆撃能力までも求められていたため、開発はさらに困難なものとなっていた。  この開発を委任されたのがハインケル社で、同社の設計者ギュンター兄弟は飛行性能を高めるた めにあらゆる新機軸を盛り込んだ設計書を当局へ提出した。特に軍が要求した性能を満たすために 必要であった大馬力エンジンについては当時の量産エンジンでは出力不足であったため2基のDB 601エンジンを結合したDB606(2,500hp)を使用することにした。  He177と形式名称を与えられた機体は1939年に完成したが、エンジン冷却法の未完成や 急降下爆撃に耐えるための機体補強などで極端に重量増加した機体は、設計値をかなり下回る飛行 性能しか示さなかった。しかもエンジン加熱による出火など極めて危険な要素を含んでおり、生産 前機として製作された35機のうち25機が事故で失われるほどであった。  それでもHe177は軍に制式採用され、その後も改良が進められ1943年からDB610系 列エンジン(DB605を結合)を搭載したA-5型が生産されるようになって、初めて使い物に なる機体が軍へ納入されるようになったのである(ただしエンジン過熱や稼働率の問題は最後まで つきまとった)。  A-5型からは「グライフ」(頭が鷲、体がライオンの空想上の動物。グリフォン)と正式な呼 称がつけられゲーリング元帥の『自慢の翼』となったが、ドイツが制空権を失いつつあったこの時 期では敵に与える損害よりも受ける被害の方が大きく、電撃戦の再来を望むべくもなかったのであ る。  なお、A-5型には「フリッツX」やHs293などの誘導爆弾を搭載できる機体や空対空ロケ ットを多数装備した「対爆撃機用爆撃機」などの派生型も多数存在した。

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いつかミサイルくらいは撃てるようになりたい…。 お借りしたもの。Su-35・スカイドーム(ぴくちぃ様) モブ駆逐艦1945・モブ航空母艦1941・モブ高速戦艦1940(改装)・モブ巡洋戦艦1943(改装)・モブ超弩級戦艦1943(Tansoku102cm様) HgSSAO.fx ver0.0.3・PowerDOF.fx v0.0.5(針金P様)MikuMikuEffect用ディフュージョンフィルタ・AutoLuminous Ver.4.2(そぼろ様) 雲エフェクト(ラテ様)  水面エフェクトver5.0(ビームマンP様)

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宮史郎(1943.1.17 - 2012.11.19) ぴんから兄弟  若い人はノブ&フッキーのものまねでしか知らないだろうな。自分はリアルタイムで観ておりました。

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Wikipediaの時雨の項目にある1943年の時雨と五月雨とされる写真、あれ多分間違いじゃないですかね?同じ写真で駆逐隊番号が読めるやつがあって、そっちには戦前の白露と時雨と書いてあるんですよ。つまりあれはさみしぐではなくしらしぐ(早口)

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エンジンの不調で実戦に参加したのは1943年だ!

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戦艦もお借りした。 お借りしたもの。Su-35・スカイドーム(ぴくちぃ様) モブ駆逐艦1945・モブ航空母艦1941・モブ高速戦艦1940(改装)・モブ巡洋戦艦1943(改装)・モブ超弩級戦艦1943(Tansoku102cm様) HgSSAO.fx ver0.0.3・PowerDOF.fx v0.0.5(針金P様)MikuMikuEffect用ディフュージョンフィルタ・AutoLuminous Ver.4.2(そぼろ様) 雲エフェクト(ラテ様)  水面エフェクトver5.0(ビームマンP様)

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1941年6月のドイツ軍のロシア侵攻から6カ月後に自由フランス軍とソビエト連邦の間の緊密な連携を目的とした会談が持たれた結果、当初12名の戦闘機パイロットと47名の地上要員で構成される東部戦線に従軍する特別飛行隊を編成することになった。ドゴールは1942年9月1日にジョセフ・プリカン(フランス語版)少佐指揮の第3戦闘飛行隊「ノルマンディ」(Groupe de Chasse GC 3 Normandie)の発足を公式に発表した。整備員、パイロットと機材が列車と空路を使いテヘラン(現イラン)経由でバクー(2006年現在アゼルバイジャンの首都)へ送られた。部隊はジャン・テュラーヌ(フランス語版)少佐が飛行隊の指揮を引き継いだ1943年1月末までにヤコヴレフ Yak-7を使用した訓練を完了しており、3月22日には実働状態となったんだ!

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・艦船擬人化 #艤装姫士 #艦たま 第62弾(2017.06.02) 冬月型駆逐艦 3番艦 宵月I 建造:浦賀船渠 起工1943.8.25 進水1944.9.25 竣工1945.1.31 運用:呉軍港空襲 除籍1945.10.50 戦後:復員輸送任務、賠償艦として中華民国に引渡し

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サヴォイア・マルケッティ SM.93は第二次世界大戦末期の1943年にイタリアで開発された急降下爆撃機である。操縦士がうつぶせになって搭乗するのが特徴である。 木製構造の低翼引込脚の単発機で、長いコクピットの中でパイロットはエンジンの直後にうつぶせで搭乗し、無線士兼銃士は通常の姿勢でパイロットの後部に搭乗した。

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南方戦線における楓笠国防陸軍ハノンル島守備隊第334独立戦車連隊所属の38式中戦車3型と随伴歩兵

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 第二次大戦中の1943年に英国ブラバゾン卿(英国航空大臣兼運輸大臣(当時):John Theodore Cuthbert Moore-Brabazon, 1st Baron Brabazon of Tara)は、 戦争終結後の平時に大型旅客機市場で必要とされる航空機の研究・提言のための委員会を設立した。 委員会では海外航路用の長距離大型機から支線航路用の短距離機までの4タイプ(後に5タイプに 増えた)のレポートを発表、英国内の航空機メーカーはこのレポートに基づいて、民間輸送用の機 体開発を行った(1944年に軍需省が各タイプの航空機仕様書を発行したため、正規の開発契約 であった)。  デ・ハビランド社も幾つかの機体を開発したが、そのうち支線路線用(仕様書26/43)とし て開発されたのがDH104のナンバーを持つ機体で、原型機は終戦直後の45年9月25日(偶 然にもデ・ハビランド社創立25周年記念日であった)に初飛行し『ダブ』(Dove:鳩の意)の愛 称が与えられた。8〜11席の客席を持つ初期生産型は英国内よりも海外の航空会社へ売れたが、 その後に発売された6席のVIP輸送機は国内外の企業経営者に対して好感触を得て、ビジネス機 市場の一角を占めるに至った。また仕様書C13/46に適合する軍用連絡通信機としてのモデル も開発され、英空軍および英海軍に採用が行われた。この軍用型は『デヴォン』(Devon:地名)と 名付けられた。  デ・ハビランド社は『ダブ』の成功を受け、より大型の4発機市場(DH86 の後継機)に対応した改良型を開発することにし、1950年5月に機体を拡大した4発機DH11 4(後に『ヘロン』(Heron:鷺の意)の愛称を与えられた)原型の初飛行に成功した。4発機型も 国内外の航空会社に対してセールスに成功したが、軍用型としても英空軍女王飛行小隊[Queen's Flight]の VIP輸送機や英海軍の連絡輸送機として採用が行われている。

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1943年8月22日より、「時雨」「浜風」「磯風」「漣」は第七聯合特別陸戦隊に従事するが、米軍機の妨害により失敗した。8月25日からの第2次作戦では、駆逐艦「松風」を陽動部隊とした他、同編成で輸送作戦を再開、レカタ到着後陸戦隊の収容に成功する。続いて8月30日から9月1日にかけて、「松風」「磯風」と共同し三次にわたるツルブ輸送作戦に従事する。その後、「時雨」は10日ほどラバウルに停泊して訓練に従事した。9月20日~21日、ラバウル~ブカ島輸送任務に従事。10月1日附をもって第2駆逐隊「五月雨」が第27駆逐隊に編入された。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E9%9B%A8_(%E7%99%BD%E9%9C%B2%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)動画sm24924819に使用した静画。時雨視点として、同じ場所でカメラを間逆にして撮ったもの。この頃は、同じ小隊でもばらばらに行動してたりして、この4人が揃って行動したことがどれほどあったのか、良く分からない。作った艦これ動画mylist/42341820ツイッター https://twitter.com/Me_Myafky

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 第二次世界大戦初期のイギリスの主力双発爆撃機の一つ。細い金属フレームを斜め格子状に組み合わせて編んだ上に羽布を張った大圏構造を採用し、生産性は悪かったが軽量かつ被弾に強かった。  原型機は1936年初飛行、量産1号機が1937年初飛行、1938年から実戦部隊への配備が開始され、初の実戦参加は1939年9月。開戦時はドイツへの昼間爆撃にも用いられていたが、同年末の作戦中に甚大な被害を受けたことから夜間爆撃のみに用いられることとなり、1943年夏まではドイツやイタリア工業地帯への爆撃任務のほか地中海・アフリカ方面でも活躍した。これ以降は夜間爆撃でも四発爆撃機が主力となり、沿岸哨戒や輸送・爆撃練習・無線航法練習など様々な用途に転用された。水上航行中のドイツ軍潜水艦(Uボート)捜索のために海上を照らすサーチライトを主翼下に備えた機体や水上捜索レーダーを備えた機体、潜水艦攻撃手段としてロケット弾懸架レールを主翼下に用意した機体などが哨戒用に新たに生産された。これらを含め、イギリス爆撃機としては最多の11,461機が生産された。  「ウィンピー」(Wimpy)の愛称で親しまれ、また小説『ブラッカムの爆撃機』の題材にもなった。

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・艦船擬人化 #艤装姫士 #艦たま 第41弾(2017.2.19) 松型駆逐艦 1番艦 松II 建造:舞鶴海軍工廠 起工:1943.8.8 進水:1944.2.3 竣工:1944.4.28 戦没:1944.8.4 運用:硫黄島輸送作戦護衛など

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タイトル通り、イギリス海軍イラストリアス級空母ヴィクトリアス(HMS Victorious 1943)を建造してみました。これまでで一番建造に時間がかかった。もう空母ヤダ。

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