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DB601系エンジンを積んだ三姉妹に続き、DB605系エンジンによる「セリエ5」3機種を並べる事が出来ました。 【独委員会によるFw190 A-5やBf109 G-4との比較テストの後「全般的にセリエ5の戦闘機は低高度では非常に良好だったが、G.55は高高度でも独のライバルと比べて速度と上昇率で対抗でき、非常に良好な操縦特性を維持した。最終的な評価はG.55が優秀、Re.2005は優秀だが製造が困難、C.205は平均的」「MC.205VはG.55およびRe.2005が配備される”まで”生産された」と。 MC.205Vは「イタリアが生み出した最優秀戦闘機」で、G.55は「最良の枢軸国戦闘機」。う~ん?
なんだ、おまえは! ここは、湖北高校のくるところじゃねえ!! しょんべん、ちびるまえに、 かえるんだな!!
MC.200の性能向上型として、ドイツからDB601Aの供給を受け開発された。液冷エンジン搭載のため胴体は新設計の機首部をはじめ大幅な改修を受け、風防も密閉式となった。(ドーサルフィンと風防の隙間は後方の視界確保のため)主翼も新設計になりMC.200のような臨界機動でスピンに陥ることがなくなった。これによりMC.200に比べ速度は100km近く向上し、しかも良好な運動性を持つ高性能機に生まれ変わった。P-40を装備した英空軍のMC.202に対する評価は高く、Bf109Fよりも空戦性能に優る手強い機体と受け取られていた様子である。(設計:Mario Castoldi)
アウグスブルクの夏空を背景に、テスト飛行に向かうメッサーシュミットMe209-Ⅱ。1939年に速度の世界記録を作ったMe209という飛行機がありますが、 全くの別機です。なぜかスピードレーサーと同じ名前が付いています。 (アウグスブルク=メッサーシュミット社の工場があったドイツの都市です。) 性能向上に限界の見えた制式戦闘機・Bf109の後継機として、1943年の半ばにMe209-Ⅱの開発がスタート。 出来上がった試作機は、Bf109G型の部品が65%も流用できるというエコノミーな機体ながら、最大速度は672km/hを発揮(量産中のBf109G-6は630km/h)。 短時間だけ使用できるパワーブースターを起動させると、最大速度は700km/hを超えたそうです。 これなら制式採用間違いなしと思われたものの、ライバルのフォッケウルフFw190Dが同等以上の性能を発揮(最大速度686km/h)。 Fw190Dは、やはり制式戦闘機であるFw190Aの改良発展型。なので、Me209-Ⅱよりも製造ラインの変更が少なくてすむという、 空軍にとってはお買い得な点もアピールしたようで、Fw190Dが次期主力戦闘機の座を勝ち取りました。 これ以降、メッサーシュミット社はプロペラ戦闘機の開発からすっぱりと手を引き、ジェット戦闘機の開発に集中することになったそうです。 お借りしたもの Me209(ハナ様) グラーフ・ツェッペリンVer1.50(pafe様) (毎度のことながら、小さくてすみません。^^;) 東京国際飛行場 ver1(verisuta様) animesky(seasalt様)
1933年に初飛行したチェコスロバキアの複葉戦闘機。当時世界の戦闘機は複葉から単葉への過渡期で あり、当機も複葉戦闘機の最終世代を代表する機体の一つといえよう。 アビア社設計士フランチシェク・ノボトニー(Frantisek Novotny)の手による原型機は上下の主翼幅が 異なり、かつ前後に食い違いのある単張間複葉で、外向きに傾斜したN型支柱により上部主翼を支えるスタイ ルを取っている。胴体は鋼管骨組に金属板(機体前部)または布(機体後部)が貼ってあった。 1938年9月のミュンヘン会談までに国内21個飛行隊に配備が完了した当機だったが、会談の結果と して結ばれたミュンヘン協定に従ってドイツ軍はズデーテン地方へ進駐、翌39年にチェコスロバキアはド イツに占領(併合)されたため当機の活躍の場は少なかった。占領後当機を接収したドイツ軍は短期間だけ 当機を東部戦線(ウクライナ戦線など)で使用していたが旧世代機のため性能不足の感は否めず、すぐに メッサーシュミットBf109に交替し、当 機は高等練習機などに使用されるようになっている。 チェコスロバキア以外の使用国としては、大戦前にギリシアやユーゴスラビアに輸出された他、ドイツに 接収された機体のうち72機がブルガリアに譲渡されプロエスティ油田防衛などに使用されたが、こちらも 能力不足のため、すぐにドボワチーヌD.520と 交替した。